2019-01-20 Sun
12月のインターネット句会の特選句について、永岡ひよりさんが鑑賞を書いてくださいました。
冬麗の富士を車窓に賜りぬ 依子
賜る、というくらいの感動を覚えているのは、通勤電車だろうか。
冬の、大気が澄んで遠くまで見渡せる季節、都内からでも富士山の五合目あたりから山頂までが見えるのだが、そうするとちょっとした嬉しさを感じる。
通勤の混雑の不快さも、少しは薄れそうだ。冬麗という季語が効いていると思う。
アンテナの先まで錆びて冬ざるる 林檎
錆びたアンテナは、地デジではない昔のものが残った家のものか。
今はもう、誰も住んでいないのかと思う。もしかすると、廃村を見つけてしまったのかもしれない。
そんな物語を想像してしまう。
冬ざるる、という季語によって、荒涼とした景色を極めている。
枯芝を払ふでもなく鬼ごつこ 真理子
服につく枯芝。払うでもなくということで、とても元気な子どもたちの姿が見えてくる。
もしかすると、作者の子ども時代の姿かもしれない。
鬼ごっこ、田舎の子どもたちには見られない情景だ。
都市部では公園など、すぐに子ども達が集まれる環境なのでいろいろなタイプの鬼ごっこを見られそうだが、徐々に過疎化していく地方ではあまり見られない。
そう考えると、古き良き時代を思い出させてくれる、温かい句だと思う。
飲み込みし言葉を込めて革手套 栄子
黒い革手套は着けている人には温かいが、見た目どこか冷たい雰囲気がある。
言わずにぐっと飲み込んだ言葉、それを込めるのだからちょっとした怖さをも感じる。
握手かはたまた恋人と手を繋いでいるのか。
ぎゅっと敢えて力を込めていそうな様は、革手套を通して相手になんとなく伝わりそうだ。
東京は大きなクリスマスツリー 味千代
一読して、なるほど~!と思った句。
確かに、東京都そのものの形は、太平洋側からみたら木のようにも見える。
夜になれば、都心は灯に満ち、大きなイルミネーションだ。
ところどころにある公園や皇居に繁る常緑樹もまさにクリスマスツリーの葉のよう。
大きな景が見えるこの句に、作者の純粋さを垣間見る。
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