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パラソル句会

Author:パラソル句会
パラソル句会は、50歳までを対象とした若い世代の句会です。指導は西村和子先生から井出野浩貴さんに引き継がれましたが、変わらず毎月第2土曜日の午後に池袋近辺の会場で句会をしています。また、偶数月はインターネット句会を楽しんでいます。お気軽にお問合せください。

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第22回インターネット句会特選句について
インターネットの特選句の句評を、網倉きあらさんが書いてくださいました。

白粉花やまあちやんいけずせんといて  麻由美
 幼い頃、路地や空き地にはよく白粉花が咲いていた。
飯事のおかずにしたり、花で爪を染めたり、種を割って白い粉を頬につけたりと、
白粉花は女の子が少しだけ背伸びをしたい時のよき友だった。
白粉花を見るたびに懐かしいような、くすぐったいような気持ちがするのは、
私だけではないだろう。
 「まあちゃん」が作者にとって近しい存在なのであろうこと、
そしてその「まあちゃん」の「いけず」を、作者がきっぱりと拒絶するというよりも、
むしろ「まあちゃん」に対して素直に、ほんの少しの甘えを含みつつ「やめて」と
訴えている姿が彷彿とするのは、「白粉花」という、女性にとってノスタルジックな
季語の働きのおかげだろう。

柴犬の尾も金色や薄原         麻由美
 薄原は美しい。曽爾高原や大台ヶ原などで一面の薄が風に揺れるさまは、
どんなお花畑よりも美しいと思ってしまうほどだ。
 秋も更けてくると薄は「尾花」という別名の通り花穂が開いて動物の
尾のようになるが、作者にとってはそれが柴犬の尾のように見えたのだろう。
モンゴル人は秋の太陽を「黄金の太陽」というらしいが、
柴犬の尾の色も薄原の色も金色に見えたのは、
秋の陽だけが持つ特別な魔法のせいかもしれない。
 薄原で存分に秋の陽を浴びながら往く秋を惜しんでいる作者の姿が目に
浮かぶが、寂しさだけで終わらないのは、そこに柴犬がいるからこそだろう。
 
奇跡とは起こるものなり運動会     香
 運動会に奇跡が起こるのは、高校野球に奇跡が起こるのと同じ理屈かも知れない。
負けるはずの無い子やチームが負けてしまったり、絶対に勝てるはずがないと
思われていた子やチームが勝ってみたり。
易々と結果の予想できてしまう運動会など、やっていても観ていても全く楽しくはないだろう。
運動会は、勝負の女神は確かにいるのだと、誰もが信じてしまう奇跡があればこその行事だ。
 それにしても女神の心を揺り動かしたものは何だったのか。
実力や努力という、時間をかけて積み重ねられてきたものであるのは確かだろうが、
それだけで勝敗が決まるのであれば女神の出番は無い。
女神が最後にどちらに向かって微笑むのかは、最後の最後まで分からないのだ。
なにしろ女の神様であるから、理屈だけで理解しようとしても無理なのだが、
それを我々人間は「奇跡」と呼んで有り難がりもし、
女神のご機嫌が悪かったのかと諦めたりもする。
 作者は明らかに勝負の女神に微笑んでもらえた側だろう。
その興奮が、その喜びが、句から伝わってくる。

球児らはよく泣く人種雲の峰      紀子
 野球に限らず、プロの試合には面白くない試合というのがある。
しかし高校野球は、どんな試合であっても必ずなんらかの感動を観る側に与えてくれる。
私たちがこんなにも高校野球に惹かれるのは、そこに「青春」という、
大人にとってはやや気恥ずかしいものが濃厚に感じられるからであり、
また選手達自身が、青春の真っ直中にいながらそのことには全く無頓着に、
若者特有の無防備さの中で野球に打ち込んでいる姿が眩しいからだろう。
 今年の夏も、球児達はよく泣いた。勝って泣く選手もいれば、負けて泣く選手もいた。
天気に恵まれなかった今年の夏も、彼らの上にはいつも平等に青空と入道雲が
あったような気がするのは、球児と涙と夏の空が分かちがたく結びつき、
もはや日本の夏には不可欠なものとなったからだろう。
 秋も深まりゆく今、あらためて夏という季節の青春性を思い起こさせてくれる句である。

虫の音の高まり宙に浮く心地      味千代
 不思議なもので、それぞれの虫が勝手に鳴いているに違いないのに、
まるで心をひとつに合わせて鳴いているかのように聞こえるのが秋の虫だ。
リーンリーン、チッチ、リューリュー・・・まるで星の声が空から降ってきたような、
澄んだ美しい音色である。
 作者は目を閉じて虫の声に耳を傾けているのかも知れない。
虫の合唱がいよいよ厚みを増すにつれて作者の心は次第に透明になり、
地球の重力さえ忘れて、虫の声とともに宙を漂ったのだろう。
 虫の声を美しいと感じるのは日本人とポリネシア人だけだというが、
虫の鳴き声を聞くだけでこんなフロー体験ができるのだから、
日本人の「耳」を持っているということは、なんという幸いだろうか。 
今夜も虫が鳴くだろう。作者も私もともに虫の音に耳を傾け、
それを美しいと思い、しばし我を忘れることだろう。
そしてそれは今を生きる我々のみでなく、日本人である限り受け継がれてゆく
大切な資質であり、時間なのである。
 小さな虫の声を詠みながら、空間や時間の拡がりをも感じさせてくれる句。


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インターネット句会 | 22:45:41 | トラックバック(0) | コメント(0)
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