2013-05-28 Tue
今回の句評は津野利行さんが書いてくださいました。なかなかの力作です。
藤揺るる我が重心の定まらぬ 泉
藤の花はみなさんご存知の通り下にぶら下がって、晩春に紫色のきれいな花を咲かせますよね。
ふゎぁ~っと風が吹けば一瞬どの花も同じ方へ揺れるけど、風が行き過ぎたあとは右へ左へぶらんぶらん。
その様は、重心の定まらぬ、何か決めかねている、やる気の出ない、
春の気だるさと合いまった自分のふらふら感になんだかやりきれないもどかしさを抱いているのでしょうか。
いいじゃんか、重心なんか定まんなくても。揺れて生きるもよし!w
蝶々の遠くを目指すとき疾し 林檎
あたたかい日、ひらひらと目の前を飛んでいた蝶。何のことやら急にす~っと見えない方へ行ってしまったのでしょう。
そのあっという間に飛んで行ってしまった蝶が、早かったという句。
あわただしい日常から何か抜け出せないでいるのか、自分の焦りに気付いたのか、
何か遠くの目標に向かって一目散に飛んで行った蝶に、新年度の代わり映えしない自分にないスピード感を感じたのだろうか。
想ひ出に立ち塞がれて飛花落花 泉
なんだかオセンチな句ですね~。どんな想い出なのでしょうか。実らなかった淡い恋心、それとも棺桶まで持っていかねばならぬ秘め事かw。
「想い出に立ち塞がれて」とあるので、どこか現実逃避じゃないですが、手につかないんでしょうね現実社会に。
どことなく「いま」を直視できない作者、想い出に通せんぼされているような日々。
桜の花が風に吹かれ一気に飛び、目の前に舞い落ちる様は、白くまたはかなく、向こう側にあるいまの自分を見失ってしまっているかのよう。
飛花落花、作者は美しさというよりはかなさをこの季語にのせて自己投影をしたのではないだろうか。
泉さんは先の「藤」の句の作者でもありますよね。二句特選おめでとうございます!
「定まらぬ」、「立ち塞がれて」、なにか不安そうにも見えますが、自分をしっかり見つめられているのだなと、逆に地に足が付いているんだなと思いました。
画廊まだ冷たきにほひ春惜しむ きあら
小さなあまり人が入っていない画廊なのでしょうか、二週間から一か月ほどの期間で行われる名もない芸術家の個展。これから花開くであろういまはまだ無名の芸術家の数々の作品は、きらりと輝くにはもう一つという感じなのでしょうか。「にほい」とおいうのだから、芸術作品は油絵なんだと思います。どちらかと言えば青っぽい寒色系の色味が多いのかな。
「まだ冷たき」という言い方が、展示された作品への気持ちでもあり、また「春惜しむ」という季語が、
その芸術家を応援したい作者のやさしい気持ちが表れている句だと思いました。今年花開かなくても来年花開けよと。
総武線今宵はおぼろ月へ行く 麻由美
私も総武線沿線在住なので親しみがある句ですね。固有名詞の句はその固有の必然性を問われますが、この句の総武線が山手線では興ざめですね。
東京にお住まいでない方はぴんと来ないかもしれませんが、総武線は東京・千葉間を東西に走っています。今宵ということなので、月が昇って間もなくの時間、つまり東に千葉方面に向かって電車は走っています。
この作者、総武線には乗っていないのでしょうね、自分がおぼろ月に向かっている感は感じられません、どこか他人事。
ただおぼろ月の夜の方に総武線が向かって走っていただけの現象を、こうやって五七五で描くと俳句になるからすごい!またこの表現ができることが作者のすばらしい感性・センスであり、特選を付けた先生の力、学びたいところですね。
私にはただただ、荒川の陸橋あたりを総武線が千葉に向かっているときに出てた月が、ただおぼろ月だっただけじゃん!と、思って取りませんでしたw。精進に励みたいと思います。
春のおぼろ月に向かう黄色い総武線も、どこか銀河鉄道じゃないですが、やんわり見えてくるから不思議です。
入学式きみの青春見守らむ 香
四月に行われる入学式。小学生にせよ、中学生、高校生、大学生にせよ、新しい門出の一歩、これからの前途を祝し応援したくなる気持ちは誰しもが持つところであります
この句は、「きみの青春」とあります。ここがミソですね。
青春とあるので、小学生ではない気がしますよね。中学かな~、高校かな~、もしかして大学もありですかね。
「きみ」がもっとあやしい。親ではないのでしょうか?パラソル句会は50歳までの方が参加資格、年齢の下限はあったかなあ~?w
我が子に「きみ」と言うのか・・・、まてよ、ここがこの句のツボかもしれませんね。
我が子でありながら、もう大方親から離れていくであろう大学への入学であれば、この感情になれるのではないだろうか。
ならば青春とも合う。「見守らむ」というからにはやはり親御さん。作者は大学生のお子さんの入学式には行かず、心の中で我が子のすばらしい青春時代を願っている。うれしさよりも心配よりもどこかさみしさのある入学式を詠まれた句なのではないでしょうか。
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