FC2ブログ
 
■プロフィール

パラソル句会

Author:パラソル句会
パラソル句会は、50歳までを対象とした若い世代の句会です。指導は西村和子先生から井出野浩貴さんに引き継がれましたが、変わらず毎月第2土曜日の午後に池袋近辺の会場で句会をしています。また、偶数月はインターネット句会を楽しんでいます。お気軽にお問合せください。

■最新記事
■月別アーカイブ
■カテゴリ
■問合せフォーム

お問合せはここからお願いいたします。また、ご感想などがありましたら、是非お寄せください。

名前:
メール:
件名:
本文:

■最新トラックバック

■検索フォーム

■RSSリンクの表示
■リンク
■QRコード

QR

合同句集『海へ』リレー鑑賞(22) 田中久美子の句から
3月19日に出版した合同句集『海へ』には、36名が20句ずつ寄せていますので、
リレー形式で仲間の1句を紹介しています。
今回は田中久美子さんの句を杉谷香奈子さんが鑑賞しました。

装はぬ男の上へ春の雪  久美子

春の雪は、そこにあるものを美しく見せたりドラマ性を与えたりする、一種の演出効果があると思う。
私なりにこの句に詠まれた情景を想像してみた。
冬から春へ移り変わろうとする街の界隈。
普段着のままひとり歩く男性。今日はどこに出かけるのか。
着崩した服装でいるから、恋人に会うわけでもあるまい。
自分探しの気楽な散策だろうか。
そこに突如降り始めた雪。
早春の微かな日に映えて、男性の上にも静かに舞い落ちる。
その後ろ姿に、ドラマのワンシーンのような魅力が漂う。
春の雪という女性的で柔らかな季語が、ラフな服装の男性という句題を見事に引き立てている。(杉谷香奈子)

次回は田中優美子さんの句を田中久美子さんが鑑賞します。




スポンサーサイト



リレー鑑賞 | 15:36:20 | トラックバック(0) | コメント(0)
合同句集『海へ』リレー鑑賞(21) 杉谷香奈子の句から
3月19日に出版した合同句集『海へ』には、36名が20句ずつ寄せていますので、
リレー形式で仲間の1句を紹介しています。
今回は杉谷香奈子さんの句を睡睡さんが鑑賞しました。

叱りてもこの手離さず大夕焼   香奈子

「叱りてもこの手離さず」が表すところ、
それは母から子へ、だけでなくあらゆる関係における
愛の本質のように思う。
たとえば、今のわたしなら老いゆく親に対し、こんな心境に
なる日もあるいは近いのかもしれない。

「この」が見事に効いている。
大夕焼との対比の中で、すぐ近くにいる守られるべき存在の小ささが
その愛情に切実さを伴わせる。離してなるものか、と。
また、夕焼の時間は家に帰る時間。
叱った経緯に始まり、手をつないで帰って、
一緒に夕ご飯を囲む食卓の様子までを自然と想像できるような
時間性の豊かな句でもある。(睡睡)

次回は、田中久美子さんの句を杉谷香奈子さんが鑑賞します。

リレー鑑賞 | 23:02:00 | トラックバック(0) | コメント(0)
合同句集『海へ』 リレー鑑賞(20) 睡睡の句から
3月19日に出版した合同句集『海へ』には、36名が20句ずつ寄せていますので、
リレー形式で仲間の1句を紹介しています。
今回は睡睡さんの句を島野紀子さんが鑑賞しました。

逃げ場所のある街にまた春来る  睡睡

睡睡さんの句は小説の一場面を髣髴させ、渦中の人物の行動がリアルで視覚的だという点が魅力的である。
掲句その典型で、十七音十四字でありながらドラマが見える。
「逃げ場所のある」との上五から、作者は此の地に精通しており思い入れがある地。
そこに何かから逃れるために「居る」。
「街」という語から、ここは狭すぎず、住民皆顔見知りでも無いようだ。
ある程度広い、人付き合いの濃くも薄くない居心地の良い土地と推察する。
しかし嬉しいことに「春来る」、どうやら解決を見、再出発が出来るようだ。
帰る場所、逃げる地があるのは幸せだ。幸せな再出発を祈りたい。(島野紀子)

次回は杉谷香奈子さんの句を睡睡さんが鑑賞します。

リレー鑑賞 | 08:50:12 | トラックバック(0) | コメント(0)
合同句集『海へ』リレー鑑賞(19) 島野紀子の句から
3月19日に出版した合同句集『海へ』には、36名が20句ずつ寄せていますので、
リレー形式で仲間の1句を紹介しています。
今回は島野紀子さんの句を志磨泉さんが鑑賞しました。

春休子等を本屋に放ちたる 紀子

春休みは、夏休みや冬休みと違い、学校の宿題もなく、時間もたっぷり使える。進級を前にして、不安と期待と共に新しい世界に興味もいっぱいだ。掲句、「放ちたる」という思い切りの良い表現から、大型書店と想像できる。そこには色んなジャンルの書籍が並ぶ。兄弟はそれぞれの目的へと一目散。そして、隣のコーナーへとつぎつぎ興味は広がっていく。子供にとって、書店は探検の場所なのだ。

昨今、書店の数は減る一方だという。必要なものは、インターネット経由で簡単に手に入る。書店に足を運ぶと、あれこれ手にとるうちについつい予定外のものも買ってしまったりする。その予定外こそが、新しい世界に繋がることもあるだろう。子供の図鑑や事典の電子書籍化も目にする。しかし、子供は図鑑のその厚さや重さが誇らしかったりするのだ。新しい頁の手触り、捲る時のわくわく感、何と愛おしいことか。また、兄や姉、父母の書棚を眩しく感じたり、その本を手にとった経験は誰しもあるだろう。電子書籍だとそうはいかない。

ネット時代の便利さに感謝しつつも、「書店万歳!」と思っている(私のような)母親が子供達を本屋に連れ出したに違いない。
(志磨泉)

次回は睡睡さんの句を島野紀子さんが鑑賞します。



リレー鑑賞 | 22:33:30 | トラックバック(0) | コメント(0)
合同句集『海へ』リレー鑑賞(18) 志磨泉の句より
3月19日に出版した合同句集『海へ』には、36名が20句ずつ寄せていますので、
リレー形式で仲間の1句を紹介しています。
今回は志磨泉さんの句を小山良枝さんが鑑賞しました。

妬心とはかういふかたち曼珠沙華 泉

志摩泉さんの「片道切符」は、表題作の〈吾子に買ふ片道切符風光る"〉含め、主に子育て、そして子供が自分の手から離れるまでの、喜びや葛藤を詠んだ句でまとめられている。
その中にあって、異色とも言える掲出句に心を惹かれた。

まず妬心が提示され、どんな妬心?と読んで行くと、最後に曼珠沙華がクローズアップされて現れる。巧みな構成である。
曼珠沙華の花は、確かにもがき苦しむ時の手の形に似ている。
もしくは、その血のような赤も相まって花そのものがもがき苦しんでいるようにも見える。
それを妬心と捉えたところは比喩としても秀逸であるが、勝手に想像することをお許しいただけるなら、作者はその時何か子育て以外に悩みがあり、思わずその心の内を重ねた、ともとれる。
心の眼というフィルターを通して曼珠沙華を見た時、初めてこの句が生まれたような気がしてならない。

もしかすると、とるに足らない悩みだったかもしれないが、こうしてさらりと句に託すことによって、心がリセットされまた新しい局面に向かっていけるのではないだろうか。 (小山良枝)

次回は島野紀子さんの句を、志磨泉さんが鑑賞します。

リレー鑑賞 | 20:43:42 | トラックバック(0) | コメント(0)
次のページ